対人恐怖と自信喪失を越えて / M.M さん(公務員)

私は仕事の面で二つの転機を同時に迎えたことがきっかけで、対人恐怖をはじめとする症状に陥りました。

 私は役所に就職してから6年間、OA化を推進する職務に携わってきました。学生時代には縁のなかったコンピュータにも興味が持て、夜間の専門学校に1年通って、関連する国家試験にも合格するなど順調でした。しかし社内でも中堅という立場になって環境が変化してきました。

 第一の転機は、全社的なOA化のプロジェクトが結成され、そのメンバーに加えられたことです。チャンスではありますが、これまで慣れてきたところと違う環境で、しかもベテランぞろいのチームのなかで、果たして自分が通用するだろうかという不安を覚え始めました。

もうひとつは、翌年に係長試験を控えてその準備を意識しはじめたことです。私は試験そのものよりも、合格して係長になったとき、その職務を全うしていけるかという予期不安にとらわれだしました。

 ふたつとも典型的な取り越し苦労ですが、プロジェクトが活動を開始し、メンバーの仕事ぶりを間近に見て、実力の差を思い知るにつけ、この予期不安は強まっていきました。

 これをきっかけに、私は急速に自信を失っていきました。一度自信をなくすともろいもので、積極性やすすんで責任を引き受けるという部分は影をひそめ、受身で卑屈で優柔不断になっていきました。そんな自分を人前にさらすのがいやで、自分の殻に閉じこもりがちになり、人を避けるようになっていきました。出先で会議があったとき、時間前に到着しているにもかかわらず挨拶がいやで、直接会議室に行き、出先の人は私の来ていることに気づかず、迷惑をかけたこともあります。

 あとは悪循環で、ますます逃避的になっていきました。自分を支えるものを失って意気消沈し、でくのぼうのようにうつろになっていきました。

 何とかしなくてはと思い、本を頼りに精神分析の研究所に行ってみたり、カウンセリングに3カ月ほど通ったりしました。しかし、事態が改善されるとは思えず、本屋で森田療法の本に出会ったのがきっかけで、生活の発見会の集談会に参加するようになりました。
「幼弱性」「観念的理想主義」というところが自分の問題にあてはまるかもしれないと思ったのです。

 そして発見会で森田理論を学んだことで、自分に対する気づきが多くなり、今はたいへん生きやすくなっています。どんなことに気づいたか、考えてみました。

 役職に対する私の思いは、そういう立場に立つ人はアイデア豊富、実行力があり、リーダーシップに秀で、座を盛り立てられる度量がなくては…というものでした。しかし、まわりを見回してみても、そんなに完璧な上役はいませんでした。アイデア豊富な人は,堅実な実行力に欠けていたりと、ひとつの面に秀でていればそのマイナス面だってあるのです。ベテランの人も、初めからその域に達していたわけではなく,様々な経験を通じて力をつけてきているのです。そういった過程を省略して、いきなり完成へ到達できるはずはありません。

 出世についての考えも変わりました。症状にとらわれている頃は、昇進できないかと思うと、将来がないような閉塞感を感じました。しかし今は、肩書き以外にも自分を支えるものができて、家族との休日、音楽やスポーツなどの趣味、発見会を通じて得た友人とのつきあいなど、それぞれ楽しみです。サラリーマンとして出世はしたいですが、会社人間ではなく、仕事以外の世界にも価値を見出せるようになってきて焦りがなくなりました。

 また、行動については、以前は自信が持てるまで行動を起こそうとせず、結果として行動しないというパターンでした。その背後には、完璧にやり遂げられた状態しか人には見せたくないという自己防衛がありました。中島敦の「山月記」という短編小説に、臆病な自尊心と尊大な羞恥心のゆえに虎に身を落とした男の話があります。羞恥心から人を避けたことが、他人からは傲慢と見られ、才能の不足を暴露するかもしれないという卑怯な危惧から、なりふりかまわぬ努力ができない点など、私も同様でした。

 しかし、とにかく良くなりたかったので、コピーとりのような単純でくだらないと思えるような仕事も、森田の教えに従って読む人の便宜を考え、綴じても端がかくれないように気をつけて行いました。こうした具体的な行動に目を向けていくことが、結果的に自分の才能や能力への不安といった症状へのとらわれを棚上げし、「あるがままになすべきをなす」や「目的本位」の姿勢になっていたのだと思います。現実的な成果を重視する姿勢が強まることで工夫が進み、その結果、職場の同僚・上司の信頼も得られ、だんだん自信のようなものもついてきました。係長試験もダメでもともとだから受けてみようという気になりました。

 最後まで解決しなかった劣等感や自己嫌悪についても変わってきました。社会人として生活している以上、現実から逃げようとしても、また現実に直面しようとしても、何らかの作為・不作為を積み重ねることになるわけで、そうした中で,無様とも思える失敗もし、その姿を人目に曝すことになり、自分のありのままの姿といやでも直面せざるを得ません。ナルシシズムをヤスリでこすられるような痛い思いをしながらではありますが、「等身大の自分」が見えてきたように思います。

 こうしてありのままの自分を受け容れることができるようになって、「他人」は、私の評価権を握っている怖い存在ではなくなり、対人恐怖も薄らいできました。

 「自分のありのままの姿を見せても、人は私を見捨てない」と思えるようになって、人と会うのに身構えなくなり、今では様々な人との出会いが楽しみな毎日です。

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